昭和の花嫁学校!レブユーとは? 薬店だより 十二月號 栄養と育児 昭和11年12月
現在のわかもと製薬株式会社の前身「栄養と育児社」が発行していた月刊誌。漫画あり小説あり、病気への対応、健康相談、医学ニュース、読者の投稿コーナーなどがある。宣伝兼ねて発行されていたのかな?
目次
中島菊夫氏の漫画 「テク助漂流記」
この島ではみんな発明をするけれどありえない失敗ばかりをするお話。最後に「発明はよいことだが頭が悪くてはどうもならぬ。このお薬を飲んで頭をよくしなさい。」そして錠剤わかもとの広告となり一件落着。
私の健康方法のコーナー
※拓務大臣は朝鮮半島、台湾など外地統治の中央機関
この中で最も長い気だったのは徳富猪一郎氏。88歳の高齢でお亡くなりになっているので散歩と昼寝を一番の手本にするとよいかもしれません。
今や幻?お嬢様が通うお茶の水家庭寮こと花嫁
入学資格は女学校卒業程度であり、専門学校や大学卒業生もいる。入寮者は大臣や伯爵の娘、大実業か地主などの令嬢が中心。勉強するのは割烹、裁縫、お金の管理、教養、栄養、保険、工作と幅広い。他にも茶道、華道、琴、ピアノ、長唄、洋裁、手芸。
実習を兼ねて1食15銭の予算で昼食づくり。出てきたのは、ご飯(油揚げとまつたけ入り)、おつゆ(お豆腐、ホーレン草、松茸入り)、かつお節を振りかけたホーレンソウのおひたし、白菜と浅漬けのお新香。たしかに同じ食材を使い安く仕上げながらも松茸などを入れる工夫。
この花嫁学校では月収70円~80円でやりくりすることをを目指して教わっている。ちなみに当時の大学新卒の月収が73円程度。この花嫁学校へ来ている人たちは既に婚約者がいる人ばかりなので、恐らく相手の家柄も地位も相当高いと思われるから、親が子に嫁に行かせる前に家事全般をならわせつつ、世間の暮らしを学ばせるために通わせたのかな。
現代女学生気質
女学生が時代とともに変わっていることに対しての茶化しというか風刺かな?今ならば普通の子ばかり。84年前と今はそれほど変わらない。
途中で何度かレブユーという言葉を見かけて「現在のレビュー?ラビュー?」。何かと調べたらちゃんと言葉としてあったのか。大衆娯楽演芸のことで日本では宝塚少女歌劇団を思い浮かべてもらうとよさそうです。
雑誌より一部抜粋
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